東トルキスタンから西ヨーロッパへ

論文プロジェクトについて

エトレス・ウイグルレストランでの手工芸品(ロンドン)

ジャーナリズムを勉強する始めの後、教師は論文を始める方法について私たちを導き、トピックを選択するためのいくつかのヒントを教えてくれました。カーディフに来る前、私の論文はカザフスタンや中央アジアの人々に関するものだと思いました。大学の講義室で勉強する時に、私がカザフスタンだけでなく中央アジア、独立国家共同体、テュルク系民族の一人だけの代表でもあることに気づきました。そんな国際的な環境の中で、自分だけができること(自分だけがアクセスしやすいこと)を考えました。野心的なジャーナリストとしての私の主な目標の1つは、公衆の関心がある必要なトピックを選び、以前には口に出されなかったストーリーに目を向けることでした。そして、私はイギリスのウイグル人ディアスポラの生活についてのテレビドキュメンタリーを制作することにしました。しかし、コロナウイルスは私たちの計画を変えました。学位論文を製作する時、英国での旅行や対面の会議の制限により、テレビプロジェクトをラジオプロジェクトに変更する必要がありました。幸いなことに、7月と8月の時、ロックダウンの段階的な緩和により、トピック関連のイベントに参加したり、取材相手と直接会ったりして、仕事を完了することができました。

ロンドンの中国大使館の前で平和的なデモでの抗議者

西側のメディアが報じているように、2017年以来、新疆ウイグル自治区それとも東トルキスタンでウイグル人(および他の少数民族のイスラム)は中国のテロ対策キャンペーンの困難に直面しています。刑事告訴を受けていない人々は、大量逮捕、強制労働、不妊手術の強制終了、肉体的および心理的拷問、臓器採取、厳格な監視などの厳しい人権侵害にさらされています。宗教的慣行とか、文化的活動とか、地域のウイグル語、および先住民族の語の使用を禁止しています。 この地域を研究しているの人権団体や科学者は、これらの事件を「文化的大虐殺」と呼んでいます。これらの少数民族の差別と迫害と言う困難は、1949年の東トルキスタンへの中国の侵略から始まり、一部のウイグル人は故郷を離れることを余儀なくされました。彼らは安全な住む場所を求めて世界のさまざまな地域に移住しました。 彼らは、西ヨーロッパの国の1つであるイギリスにもやって来ました。それでは、ウイグル人は中国から遠く離れた場所に住んでいるにもかかわらず不安を感じるのでしょうか?彼らはどうやってイギリスを選びました?彼らはどのように国民的アイデンティティを維持しますか?

これらの質問に対する答えは、「東トルキスタンから西ヨーロッパへ」というラジオドキュメンタリー番組にあります。以下のビデオを再生してください。

ご清聴ありがとうございました!

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